千葉県市原市 外科 内科 皮膚科 アレルギー科 婦人科 スポーツドクター 食習慣・運動習慣改善指導

Slide One
Slide One
Slide One
Slide One
previous arrow
next arrow

新着情報 一覧

今までの 新着情報 の一覧です。

さくらマラソンの写真がオールスポーツから提供されました。サンプルを見たんですがあまりいいポーズでの写真じゃないので購入はしませんでした。

そのサンプル写真でヴィネの太ももを見てがっかりしました。

「細すぎ!!!」 しかもツヤがない。

もともと173センチに70キロくらいの体重で、とてもランナーとは思えない高体重。絶対痩せていたほうが記録はよくなるはず、と減量を心がけたのが10年位前でしょうか?減ったり増えたりを繰り返して徐々に低下してきましたが、目標の64.5キロにはなかなか達成しませんでした。

ところがこの1年、順調すぎるくらいに体重が減ってきました。最近は「そこまで減るかよ!」と待ったをかけたいくらいです。心当たりは食事量の低下です。
ヴィネが患者さんに提案する「腹7分目」って結構ハードルが高い目標です。ところがヴィネ自身7割で全然満足なのです。すると体重は順調に減っていって昨夏には65キロを達成、その後も減って目標の64.5キロをも達成。
この1年練習量は物足りないくらいなので、筋肉も落ちたなあという印象もありました。

そしてレースの写真を見て「え?これが俺の脚?」

ツヤがないのは痩せて皮膚にたるみが出てきたためか?

あの毛ガニのふとももをもう一度!(これを理解できない人は昔のブログを全部読み直してください)

そう思ってちょっと食べる量を増やしましたが。そうすると次の食事の前に空腹感が来ません。時間で食事をするという肥満の道へ進んでいる気がしました。しかし昨夜体重測定したら63.5キロ!

練習をきちんとやったうえで食事を十分とって、という正しいエネルギー循環を取り戻さないと・・・

昨日の患者さんとの会話です

「認知症にならないようにするにはどうしたらいいでしょうかね」
「日々感謝の気持ちで暮らすんですよ」と患者さんの前で合掌してお辞儀をする私。さらに
「センテナリアン(百寿)の方へインタビューした番組がありましたが、みんな口をそろえて周りへの感謝の気持ちを伝えていたんですよ。百歳になってから周囲へ感謝するなんておかしいですから、もう今のうちから周囲に感謝をする練習をすれば、認知症ではないセンテナリアンになれるんじゃないですか」と付け加える。
「感謝ですか・・・」
「そうです、感謝です(キッパリ)。若い時はイケイケで突っ走って生きてきましたが、もう50過ぎたら、自分がこうして生きてこられたのはあなたがたのおかげです。正しい食事ができたのもあなたのおかげですし。庭の畑にも感謝です。『お庭さんありがとう』(この辺りから患者さんが笑い始める)と感謝をする訓練をしないといけません。そして施しもできればしたいですね」と、再び合掌してお辞儀する私

「お、俺今日いいこと言ったなあ、なんか牧師さんになったみたい。これは当院の『腸より始めよ』『サラダは空気』並みのコピー(文案)にできるねえ。でも『認知症予防には周囲への感謝の気持ち』じゃストレートすぎて面白くないね。なんかひねりが必要だわ」

と、その場は診察室には似合わない患者さんの大笑いで終わりました。

その後頭に浮かんだのがタイトルのコピーです。

50過ぎたらここまで生きてこられたことへの感謝(サンクス)と周囲への施し(ギビング)をするのです。その気持ちの積み重ねが認知症を防いで健康なセンテナリアンになるのです。アーメン

佐倉マラソンの結果です

3時間13分46秒 (ネットで3時間13分38秒)

総合275位 年代別5位

12300人参加したようですので、22.4%に入りました。昔は上位5%くらいに入っていたので、それを思うと時の流れをひしひしと感じます。

この結果へのヴィネの満足度は80%です。
2か月前の勝田で前半突っ込みすぎで後半激しく落ち込み、精神的に大きく落ち込みました。その後のハーフも練習不足もあってクソのような成績。勝田の後筋肉痛が3日も続き、練習なのに筋肉痛を感じたり、なかなか体重が増えず、筋肉量が減ったんじゃないか?いわゆるこれは老化??このまま坂道転げ落ちていくのでは??そんな恐怖心が頭をよぎりました。

今回そこから復活するような走りです。成功のカギはイーブンペースでした。勝田の前と今回の前の練習量はわずかに今回の方が多かった程度で、練習量から考えたらせいぜい3時間20分程度かと思うのですが、とにかくキロ4分30秒を肝に銘じて走りました。後半ややスピードが落ちましたが、それは35キロなど長距離を練習に入れられなかったことが原因です。

副賞右からボディウォッシュ、UVクリーム、ゼリー、シークワーサーの脳活サプリ。

なぜか地元の特産物は一転もありませんでした。

お米が欲しかった!

 

 

この日に限らず、今年のヴィネが参加したレースはいずれもマラソン日和でした。3月は風が強かったり雨の日が多かったりで、なかなかいい天気には恵まれません。今日も西日本は雨で、つらいレースの所もあったでしょうが、千葉県は曇りで微風。気温も13℃くらいでしょうか。今シーズン最後のレースは悔いのないものにしたい。そういう思いで、心にはキロ4分30秒のイーブンペースを守ることだけを誓いました。

レース直後、コースは下り坂です。ここでスピードを出しすぎないように注意しました。今日の体調はそこまでよくもなさそうだったので、結果的にスピードオーバーにならずに済みました。その後また少し上って下がる。5キロ10キロとほぼ正確にキロ4分30秒で進みます。

ヴィネの前に3時間15分のペースランナーが3人走っています。しかしどう考えても速すぎです。もしかしたらキロ4分半はゴールタイム3時間10分じゃなくて3時間15分なのかと本気で頭の中で計算したくらいです。ペースランナーは正確なスピードで走ってもらいたいものです。

そのペースランナーを10キロで一人、15キロ手前で2人抜きました。15キロまではスピードが上がってこの5キロのラップが21分29秒と速すぎました。15キロ過ぎで結構大きな上りがあります。ここの1キロは4分48秒に落ちました。その後の長い下りで、その遅れを挽回しようと結構スピードを上げました。しかしそれが災いしたのか、この5キロのラップは23分45秒と遅れました。

ハーフは1時間35分16秒と、ゴールタイムで3時間10分切りは不可能(心の片隅には淡い期待があった)と思われました。25キロも30キロもラップタイムはキロ4分30秒ちょっとと遅れが出てきました。やはりあの下りで飛ばしたことが原因か?そして脚に疲労を感じるようになってきました。やはり長距離を走っていないため脚の筋肉が長距離に適応できてないのでしょう。

と、その時、距離で言えば30キロ過ぎ、あのロッキーのテーマソングが流れてきました。確か前の大会でも聞いた記憶があります。ボランティアがランナーを勇気づけようと流してくれているのです。これには結構元気をもらえました。そしてその先で別のボランティアが「疲れてきたら腕を振って!!」とアドバイスしてくれています。
「そうだ、腕振りだったじゃないか!」
すっかり忘れていた腕振りを思い出して何とかキロ4分40秒程度で落ち込みを抑えることができました。

38キロ当たりで後ろが騒々しくなってきました。沿道の応援に大きな声で反応しているランナーです。一般ランナーはそんなタイムロスにつながることはしませんから。ペースランナーだと悟りました。

このころヴィネのゴールタイムは3時間13分くらいだと確信がついていたのですが、どうして3時間15分のペースランナーがヴィネの後ろにつくのでしょうか?彼らを当てにしているランナーはオーバーペースになっちゃうじゃないですか。

競技場の500メートル手前はきつい上りです。ここはペースがガタ落ちしましたが必死の思いで走りました。

そしてゴールは3時間13分46秒。実はガーミン(GPS付きのスポーツウォッチ)はヴィネの走った距離は42.5キロで300メートル長くなっています。レース中もはじめから公式の表示とガーミンの距離表示ではずれがあって、次第にそれが大きくなり最終的に300メートルも違っていました。ガーミンの42.195キロならヴィネの記録は3時間12分15秒~20秒くらいでした。

因みに60台の優勝記録は3時間4分台で、来年狙えないタイムではないと思いました。

3か月以上ブログの更新をしておらず、患者さんからも愛情あふれるご心配のお言葉をいただき、「そろそろ書かなきゃなあ」と気持ちを奮い立たせました。

この2か月相当に多忙であったことが一つの理由ですが、実はそれ以上にマラソン大会の結果に落胆して書けずにいたのです。

1月28日の勝田マラソンでは、ハーフまで突っ込みすぎでハーフ以降のペースガタ落ち。人生初めての「足が動かない!」という現象が起こりました。記録はグロスで3時間29分1秒と、昨年の両大腿ハムストリング肉離れレースに比べればずっとましでしたが、精神的なショックは大きく、これがきっかけで書けなくなってしまいました。

勝田ショックが収まらない2月18日、ハーフマラソンでこれまた情けない記録で走ってしまい、(なんと勝田の時のハーフの記録より悪いんですから)お先真っ暗になってしまいました。(でも後で大会事務局から「年代別で5位になっていましたよと」お米1キロの副賞まで送っていただきました)

実は練習中も太ももの筋肉痛が出たり、途中でペースダウンしたりと、走力の低下を実感していたのです。12月のハーフマラソンが予想以上にいい記録だったので、その後の練習量の不足になっていたのかもしれません。一方で体重が減って、自慢の毛ガニ脚の太もも筋肉が削げ落ちてしまったように見えます。

今シーズン最後のレースが3月24日の佐倉マラソンですが、それに向かって練習量を上げてきました。1日平均15キロちょっと真剣に走ろうと、何とかそれはクリアできていますが、長距離練習ができていません。30キロランは2回だけです。

これまでのレースが絶好のレース日和なのに無駄な結果にしてしまい、佐倉は天候もよくなさそうなので、その結果ではまたブログが書けなくなってしまうかもしれません。

。 元旦の能登半島を襲った大地震のニュースを見るたびにいたたまれない気持ちになります。半島という地理的な条件が、救護活動を制限しています。房総半島にすむヴィネも他人事じゃないなあと思いました。

そして避難所での風邪やコロナの感染。薬もない中で、医療の手も伸びず、災害関連死で亡くなられる方も今後増えるのではないかと危惧します。

インフルの薬のように効果的な薬はコロナに関してはありませんから、本来は予防法が非常に重要になりますが、映像で見る限りせいぜいマスクするだけしかやられていないようです。マスクは人へ感染させないための効果はあっても、予防的効果は限定的です。本来は換気が重要なのですが、極寒の能登半島ではそれもなかなか難しい。

当分この状況が続くと思いますが、「せめて口ばんそうこうをやっていただければ、かなりの感染を防ぐことができるのに」と、とても歯がゆい思いです。のどの痛みも「薬じゃないよ、はちみつだよ」とテレビの前でつぶやいています。

映像ではカップヌードルを食べている映像が流れていました。日本は災害大国なのに、これまでの避難所における食事の見直しをしていないなあと思います。避難所の食事は糖質と塩分が多く、糖尿や血圧の患者にはよくないものばかりです。しかも繊維不足でみんな便秘になってしまう。かといってなかなか野菜は食べられません。生で持ってこられても調理するすべがないからです。

ヴィネだったら無塩ナッツとドライフルーツをお勧めしますね。栄養価も高いし繊維も多い。野菜の代わりにはお茶の葉とか青汁の粉しか思い浮かびません。それより歯の丈夫な人は普段から生の人参に抵抗なくかじりつくことができるようにした方がいいです。歯が丈夫じゃない人には人参ジュースですね。電気が来ていることとミキサーかジューサーがないとできませんが。

 

今日は今年になって3回目の40キロ走をしました。

1回目は1月1日で、前日の暴飲暴食で体が非常に重く、全く走りになってませんでした。ペースは1キロ当たり5分41秒。
2回目は7日で、途中下痢してラン後に食欲が出ませんでした。ペースは1キロ当たり4分54秒。

そして今日ですが、昨日と打って変わって穏やかな天気で、ランニング日和。最高気温11度、微風です。

前半調子よく出ますが、思ったほどスピードは出ていません。それでも20キロあたりからは乗ってくることもあ多々あるので、そこに期待をしました。しかし20キロ過ぎはむしろ少しペースを落としました。この辺りでこれまでの平均速度はキロ4分35秒です。そして30キロ過ぎはさらにペースを落としました。太ももに疲労が来ている感じです。
今月3回目の40キロ走なのに疲れ?自分としては納得がいきませんが、この1週間は水曜以外の平日はアンディとのランに甘んじていたことが原因か?

反省反省・・・・明日から自己ランもしっかりとやらなきゃなあ。

結局41キロ走りましたが、平均速度は4分40秒でした。この結果をどう受け止めるか?昨年ちょうどこの時期30キロ走を走っていますが、その時はキロ4分46秒でした。そしてその後の若潮マラソンでは3時間10分のペースメーカーについていけずに、17キロ過ぎと26キロでハムストリングに肉離れという最悪の結果に終わりました。

28日の勝田マラソンは比較的フラットなコースです。今日の結果をしてみれば3時間10分は行けそうです。しかし12月のいすみハーフの結果が予想以上に良かったので、できれば3時間5分を切りたいと願っていましたが、ちょっと無理そうです。

今日は走れたことに満足です。

7日に、1日に続いて40キロ超走をしました。1日は前日の暴飲暴食が災いしたのか、非常に情けない走りでしたが、7日の走りははるかに良かったです。コース内10回の坂道がありますが、平均スピードが4分54秒は満足。

珍しく途中でコンビニを利用しましたが、自転車の愛好者が多かったですねえ。ランナーは誰もいませんでした。

ラン中に一度、後も2回下痢してしかも、2時間くらい食欲がありませんでした。何で?

そして今日は雲一つない腫れですが、北風が強かった!ゆっくり16キロで上がりました。

突然ノートパソコンのヒンジの部分が壊れて、瀕死状態で作業をこなしてくれました。PCを閉じようとするとバキバキというので、絶対に閉じないようにみんなに周知して使っていました。

 

 

 

 

 

 

新しいPCに買い替えましたが、最近オフィスもサブスクになって、大してオフィスを使わないPCには割高に思えます。そこでオフィスの分を節約しようとフリーのオフィスをインストールしました。しかし個人的な使用では問題なく使えても、自治体や医師会とのやり取りには正式なオフィスでないとうまくいきませんでした。

実はこれと全く同じPCを偶然持っていて、自分で買ったものを使っていたら、千葉大学から全く同じPCを「在宅医療の連携のため使ってください」とプレゼントされました。今回ヒンジの部分が壊れたのは千葉大からもらったもの。自分で買ったものはバッテリーがほとんど死んでいて、常にコンセントにつないでいても「もう使えません!」と警告が出ていたのです。

そこでヴィネは考えました。電源ユニットを変えれば使えるんじゃないかって。つまりヒンジが馬鹿になったPCから電源ユニットだけ取り外して、千葉大からもらったものに入れ替えるわけです。

このPCにはオフィス2016がインストールされているので、相当古いことがわかります。だからか分解しやすいのです。つまり。ねじを外せば簡単に中を開けられるのです。最近のはねじなしなので開けるだけで大変です。開けようとしてバキバキにしちゃう可能性もあります。

周囲の8個のねじを外して・・・・、あれ、外れない。真ん中で固定されている・・・。どうして・・・、よく見たら真ん中が少しへこんでいる。

なんでここ隠すの?

そうか、周りのねじ穴はそんなに問題ないけど真ん中にねじ穴が見えるとかっこ悪いから隠してるんだ。

 

 

 

真ん中のねじも外して、これが内部です。

どれが電源ユニットですかね?左下の黒いところに32Whと書かれていますので。これらしいです。しかしほかのものと一体となっていますので一緒に外しました。

 

 

 

 

そしてもう一つのPC喪明けてみると、あれ?ちょっと違う。でも本質的には変わらないだろうと楽観的。

電源ユニットさえ変えればいいはず。そう思ってスイッチオン。

すると、電源はONになったのですが、モニター画面には何も表示されません。原因はわかりませんが、ハードディスク(SSD)とかメモリーも入れ替えなきゃダメなのかな?と思って両方入れ替えました。

すると、やった~!!

デスクトップ画面が正常に表示されました。さっそくワードやエクセルで作成したファイルをみました。ちゃんと見られます。ところが、その直後ワードやエクセルのライセンスが確認できませんという警告が出ました。

マイクロソフト、抜け目ねえ~。

巨額な利益を得ていても、細かいところまで抜け目ないですねえ。

おそらくマザーボードと分離されていることで、「こいつ、分解して使えるところだけ使おうとしているな」と判断されたのかもしれません。だったらこっちも最終手段です。中身すべてそのまま移動するしかありません。つまり、ヒンジが壊れたPCの中身全部を、電源ユニットが死んでるPCの中身と入れ替えるのです。こっちの方が難しくない作業なので、はじめっからそれをすればよかったです。

そして無事に作業終了。箱根駅伝見ながら4時間の作業で、ちょうど青学がゴールするころに作業終了しました。

ヴィネはアナログ人間です。でもこの作業はデジタルの知識ゼロでもできる仕事です。ヴィネは分解することが好きです。医者をやめたらおもちゃを修理するドクターになりたいです。でも最近のものはまず開けることが難しくなっています。爪で引っ掛けて固定しているので、どこから開ければいいかわかりません。

 

 

 

12月30日当番医をやりました。10時間ぶっ通しで働き詰めでした。

結果102人の患者さんが来られて。9割は発熱患者でした。(帯状疱疹も3人いました。結構当番医やると帯状疱疹多いです)その内訳は、印象ですが、4割コロナ、3割ずつインフルとただの風邪です。コロナの感染を伝えると、皆一様に「え?」と驚かれていました。インフルはある程度感染する経路が予想できますが、どこで感染したのかわからないのがコロナ。これがコロナのメイン感染ルートが空気感染であるという根拠の一つになっています。唯一の対策は換気ですが、冬場は換気を十分とれません。

ヴィネも感染しなきゃいいなあ