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不要不急の生活に生きる - ブログ

人気ラーメン店の前には長蛇の列。一応距離保って「ソーシャルディスタンシングとってますよ」のアピール。入り口にはアルコール消毒のシュッシュがおいてる。「感染予防の対策取ってるよ」の意思表示。ところが店内は満員状態で、ふーふー麺を冷ましてずずずっとラーメンすする音。スーパーもレジ前だけは距離保てと床に足跡マーク。しかし店内は自由に買い物ができます。お金の受け取りは直接ではなくトレーにおいてそれを相手が受け取る。でもそのお金を消毒するわけじゃなくレジスターに入れる。

やってること意味あるんですかね?

ラーメン屋とかスーパーで感染したという明らかな証拠はありません。パチンコ屋だってクラスターが出たって話聞いたことありません。

いま日本人の心の中には、「自分のやっていることがどんだけ感染予防に役立ってんだろうか?」という疑問が芽生えているんじゃないでしょうか?しかしそれ口に出せない雰囲気です。疑問を持たない人の中にも何も考えることなくただその流れに乗っているだけという人もいそうです。

こういう社会になった大きな原因は、コロナ流行の初期にいわゆる(生活感のない)専門家が対策として挙げたいくつかの方法が、いまだにその有効性を検証することなく続いていることが原因です。そしてそれを盛んに報道し続けたマスコミ。

政府のコロナパンデミック対策のことを考えると、ヴィネは第2次世界大戦の時の政策の類似性を感じます。効果のはっきりしない対策を半強制的に国民に押し付けて、国民は「こんなときだから」と不要不急の外出を控え巣ごもり、憲兵みたいに自粛警察なるものまであわられる。医療従事者に対する感謝を示す(やや強制的な)行為は、出兵する兵隊に「万歳」で見送る様に重なって見えるのは偏見でしょうか?

原始の時代は生きていくだけで精一杯だったから不要不急の生活は非常に限られたものだったと思いますが、1万年前くらいから農耕生活をし始めると余裕が出てきて、不要不急の占める割合が増えてきたはずです。またそのころから感染症が広がり始めました。つまり集団生活が感染症を広めたのです。それでも何千年もの間は限られた集団で感染は終結しました。日本では廃藩置県以後人の交流が盛んとなり、感染症が大きな問題となったのです。しかし人は不要不急の魔力に取りつかれました。現代なんか多くの人が不要不急で生活しています。自粛生活中のランニングなんて不要不急の最たるものです。

不要不急の生活を制限するなん長くは続きませんよ。「こんなのやってられないよ」と人々は活動し始めるでしょう。その時にどんな対策をとったらいいのか、これまでの感染状況を分析したり、取ってきた対策の有効性を検証することができたはずです。ソーシャルディスタンシング、手洗い、消毒、マスクやフェイスガード着用と、これまでのやり方をし続けるだけでは何のための自粛だったのかということになります。

 

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