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コロナ流行の初期に「最終的には治療薬かワクチンができなきゃ根本的に終息を願うのは難しい」と言われてきました。季節型のインフルと同程度なら何とかコントロールできて、元の経済活動に戻れると思われますが、中国での調査結果でその希望は崩れ去ろうとしています。

武漢での流行後、まだ3か月程度しかたっていないのに、感染から回復した人の抗体価を調べたら、90%以上の人から抗体が消えていたというのです。

いくらワクチン作っても一年も持たないのなら市場に出ることはないと思われます。治療薬もすぐに耐性ウイルスができるような気もします。

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電気工事を生業とする知人に、「コロナ対策は建物の換気システムの新設だと思うんだけど」と聞いてみました。

「そりゃ難しいですよ。壁に穴開けなきゃいけないし、木造ならまだしも、鉄筋コンクリートの建物だと躯体に穴開けるのは限界があるもん」

そうなんですか、じゃあコロナ対策は限界だらけですね。今問題なのは密室で大声出したり、運動で息が荒くなる環境だから、小さな戸建てのカラオケ店程度ならいいけど、大きなビルの中のテナントではその対策が取れません。特に歌舞伎町の夜の街は今後も危険地域となり続けるわけだ。

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コロナの流行で多くの人の命が失われています。多すぎてその埋葬が間に合わず、路上に捨て置かれている状況の国もあります。「こんなひどい感染症の流行はこの100年に一度のことだ」と思っている人が多いと思いますが、そうじゃありません。

アフリカでは以前からエイズと結核とマラリアを合わせた死者が一日7000人いるのです。毎日7000人の人がこれらの疾患で亡くなっているのです。今に始まったことではなく、ずっと前からです。

先進国はずっとその状況に関心を抱いてきませんでした。ところが自国の問題となると、態度ががらりと変わりました。コロナ発症者が出たらその濃厚接触者の検査もして、外国から入ってきた人はPCRマイナスでも2週間自宅待機。みんなマスクして手洗いしてアルコール消毒して、2メーターの距離あけろと、神経質なまでに予防に時間とお金と神経をすり減らしています。その気持ちの0.1%でもアフリカの感染症に気をまわしてくれたらなあと思います。

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テレビではいろいろとコロナ対策をしていることを賛美するような報道が目立ちます。客が入れ替わるたびにアルコール消毒したり、スイッチなどに手を触れなくてもいいようなシステム導入したり、キャッシュレス決済導入したりと、誰も文句言わずに積極的に取り組んでいることにヴィネは大変驚きます。

その中で一つ疑問の行為があります。入ってくる人の体温測定です。飛行機の搭乗の際、催し物の会場に入る際、旅館に入る際など、やりたい理由はわかりますよ。万が一コロナの人を入れてクラスターでも発生したらその後が大変ですからね。
しかしもし37.5度以上の熱の人が出たらどうするのでしょうか?入場入館など断るのでしょうか?
「お金は返しますから帰ってください」って言えますか?
それが家族旅行の一人だったら、その人だけ断る?それとも全員断る?でも遠くからのお客断って、断られた人はどうすりゃいいのか困っちゃいますよね。
「さっきまで元気で遊んでたんだ。それがちょっと前から寒気がするって言い始めたんだけど」
といわれたらどうすんの?医療機関に回すわけにもいかないでしょう。まず受けてくれませんよ。もう一度測りなおす?測りなおしてもいいけどそれじゃあ最初に出た結果は無視していいの?何一つ答えにならないと思います。

はっきり言って体温測定は、高い結果が出たときにどう対応するかきちんと決めておかなければ全く意味のない行為です。体温37.4度でパスした人を入れて、その後具合悪くなり熱を測ったら38度なっていたってことがあるかもしれないです。また腰が痛いと言ってロキソニンを定期的に飲んでいる人だったら熱が下がっていることだってあります。そのことを知っていて、「ロキソニンを飲んで(熱下げて)飛行機に乗るんだ」といった人も実際いました。

そもそも確率的には普通の風邪で発熱している場合がほとんどです。それなのに熱が高けりゃコロナかもしれないんで来ないで下さいというのは勝手すぎます。PCRテストだって37.5度以上4日以上続かないとやってくれなかったんですからね。一回の熱測定で一般人が判断することはできませんよ。

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The “new way of life” advocated by experts and the government is very similar to the Japanese society facing World War II. In 1940, the imperial RUle Assistance Assosiation called the “new living system”, such as “seasoning calendar” for each season of using vegetables in the kitchen garden, and decorating the Fusuma door by reusing old kimono. The actual actor was a woman, and it was said that it was a non-political content. However, it played a political role in guiding people from the foundation of their lives to social control.

How is it now? After the epidemic of corona virus, the popularity of home gardens has increased, and Tokyo will deliver cut-off frill videos. The scene of this corona epidemic can be seen as a repeat of the “new life system” of the time. And I am worried about the future of the society where the citizens themselves have become accustomed to participating in and following the control of the area of ​​life.

In fact, I was surprised that there was “self-restraint” before the “new life system”. Permanents and cafes were extravagant, and people looked coldly at the lines in the movie theater.

Now, in Japan, all media are working together on “self-restraint” and “new lifestyle”, and praise the unpleasant unity of trying to survive the Coronal War. The “correctness” that clings to them is very unpleasant. However, even though I write on the blog that I oppose the movement of the public, like this, it’s hard to say in public. The atmosphere of such a society is also unpleasant because of a glaring sense of justice.

Due to the low mortality rate of corona in Japan, there is a tendency among Japanese people to lead to psychological and cultural theories such as “Our behavioral patterns are different!” “Japanese culture is excellent”. Mortality rates are lower in Taiwan, Vietnam, Australia and New Zealand… Politicians aren’t doing much, but they’re trying to take their credit.

And here’s what I want to say.

One day, when this turmoil was forgotten and everyone turned to this era, the folly of “self-restraint” and “new lifestyles” became apparent. When asked “How did you act then”, you would justify “it wasn’t the air I could oppose at the time.” It is the same as the past Japanese who did not oppose the war.

Everyone thinks they are on the right side. However, it is not an act of self-thinking, but simply accepting what the powerful people are saying without any criticism and staying in a temporary peaceful place. It is the same as the teachers who used to say “devils, the United States and Britain,” and “Long live emperor!” during the war, screaming “democracy” in the sme breath.

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The new lifestyle is strange
When you eat, keep your distance from each other, look in one direction, and concentrate on eating instead of talking. (by NHK)

 This is like a chicken farm or a prison. No, chickens are closer to each other in the poultry farm, so it’s still better, and the prison must be sitting face-to-face (in the TV drama scene), so it’s still human. Do NHK people eat quietly like this?

What does it mean to sit in an L-shape and have a meal in a dining room instead of facing each other? Do you sit in an L shape and don’t see each other’s faces while eating?

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食事するときは、お互い距離を保ち一方向を向いて出きるだけ会話はしないで食事をすることに集中しましょう。(NHK)

食事はエサですか?これではまるで養鶏場かか刑務所。いや、養鶏場のほうがお互いの距離は近いので、まだましだし、刑務所は対面で座っているはず(テレビのドラマの風景では)なのでまだ人間的。NHKの皆さんもこうして黙々と食事しているのでしょうか?

また食堂などでは対面じゃなくL字に座って食事をするのはどんな意味があるのでしょうか?L字に座ってお互いの顔は見ないってこと?

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「マスクの外側にはコロナウイルスがついているかもしれないので、外側には触れないようにしなければいけません」

テレビでも新聞でもコロナ対策として、頻繁に言われ続けていることです。まじめなあなたは「そうかそうか、そりゃそうだな。では内側に触れて・・・」とマスクの内側に触れて外そうとします。すると今度は日本医師会が言っている言葉を思い出しました。

「全員がコロナに感染していると思って行動すること」

自分も感染者かもしれない、ということは
「マスクの内側なんてウイルスだらけの可能性が高いじゃん!!」

外側も内側も触れないならどうやってマスク外すのか分からなくなっちゃいました。するとテレビでは紐の部分もって外していました。でもそれってやっぱり外側じゃん。なぜ紐ならいいのか説明スルーしている~!

まあ、まじめな人はこんな疑問を持ったりしません。まじめだから言われることに従順に従っているのです。こんな疑問感じるのはひねくれているヴィネのようなKY野郎くらいです。

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漫画原作者の肩書を持つ大塚英志氏の新聞記事を読み、「この人の言うことはヴィネの言いたいことをすべて代弁してくれている」と感じました。

その抜粋をここに書きます。

氏は現在専門家や政府が唱えている「新しい生活様式」に対して、80年前、つまり第二次世界大戦に向かう日本の社会と非常に似ているといっています。1940年大政翼賛会が説いたのが「新生活体制」というもので、家庭菜園の野菜を使う季節ごとの「漬けもの暦」や古くなった着物の再利用でふすまを飾るなど、実際の担い手は女性であり、非政治的な内容だったとのこと。しかしそれは生活という基盤から社会統制に人を誘導してしまう政治的役割を果たしたというのです。

現在はどうでしょう。家庭菜園が人気があり、東京都が断捨離動画を配信する。氏はこのコロナ下の光景が、当時の「新生活体制」の繰り返しに見えるといいます。そして市民自らが生活領域の統制に参加し、従うことに慣れてしまった社会の向かう先が気になるとのことです。

実は「新生活体制」の前に「自粛」があったというのが驚きです。パーマやカフェがやり玉にあがり、映画館の行列が白い目で見られるなど、今の社会とそっくりじゃないですか。

いま日本ではどのマスコミも「自粛」と「新しい生活様式」を一丸となって取り組み、コロナ禍を乗り切ろうという、気持ち悪いほどの一致団結を謳っています。そこにへばりつく「正しさ」がとても気持ち悪い、と氏は述べています。ヴィネも全くの同感です。しかしこういうヴィネもブログには書いても人前ではなかなか言いにくい。そういう社会の空気もギラギラした正義感が漂い気持ち悪い。

日本でのコロナの死亡率が低いことで、日本人の中には「自分たちの行動様式がスバラシイ!」「日本文化は優れている」といった精神論・文化論に帰結する風潮があります。台湾やベトナム、オーストラリア、ニュージーランドはもっと死亡率が低いのに・・・。政治家も大したことはやっていないのに自分の手柄にしようとしています。

そしてここからが特に言いたいことです。

いつかこの騒ぎが忘れ去られ、この時代を振り返った時、そろって「自粛」と「新しい生活様式」にまい進した愚かさが見えてくるのです。「あなたはその時どう行動したのか」と問われたときに「反対できる空気じゃなかった」と弁明するでしょう。それは戦争にあらがわなかった過去の日本人と同じなのだ。

みんな自分は正しい側にいると思っています。しかしそれは自分で考えての行動ではなく、上が言っていることをそのまま無批判に受け入れて一時的な安住の地にいるだけです。戦時中「鬼畜米英」「天皇万歳」と言っていた先生方が、戦後その舌の根も乾かないうちに「民主主義」を声高に叫んでいるのと同じなのです。

 

 

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テレビを見ていて思いました。

「出かけるなら高尾山かな」

経済活動が再開されて県をまたいだ移動が自由にできるようになりました。しかし旅館やお店では入る前に消毒させられたり、マスク着用を義務付けられたりしていい気分じゃありません。でも高尾山を登っている人たちはだれもマスクをつけていませんでした。やっぱこうでなくっちゃ。

旅行を楽しむのに「距離をとれ」とか、店はいるたびに「マスク着用をお願いしています」とか言われたくないし、店員がマスクとフェイスシールドつけて出てくると興ざめします。もちろん仕切りのある所で食事もしたくないし、そういう店がコロナ対策で努力しているなんていい評価もしたくない。

みんな本当にこんな社会でいいと思ってるんですかね。いい加減悪夢から目覚めて欲しいなあ。

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